どうでもいいことを考えてみる。

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久しぶりに『豊』さんへ行った。
『豊』は10人程度の客で埋まってしまう小ぢんまりしたカウンターBARである。

ママさんは50の半ばを過ぎているとは思えぬほどつやつやしたほっぺをしている。
努力しているそうだ。

しかし、ここで言うママさんの努力だが、
私個人の解釈としては、彼女にとって本当に努力なのだろうかと考えてしまう。

確かに一般論としての努力の意味は「ある目的のために力を尽くして励む」である。

しかしながら私にとっての努力とは、「その行動を取ることにより苦痛を伴わなければならない。」との考えがある。
「力を尽くす=苦痛を伴う」でなければ努力ではないと考える。

だからと言う訳ではないけれど、私は努力はしない。
何故、苦しんでまでする必要があるのか。
苦しまずにやることが最良ではないか。
苦しまずに目的へ進む方法を考えるべきではないか。

ママさんがつやつやほっぺを維持するためのお手入れに何らかの苦痛を伴うと言うのであれば、
それは正に努力であり、そうでなければ日常生活の一部である。
若しくはつやつやになるための楽しみである。

虫歯にならないための毎日の歯磨きを一般的に努力とは言わない。
日常生活の一環として当たり前に繰り返される行動である。
歯磨きすることにより脇の下が無性にくすぐったくなる体質の人が、
虫歯予防のためにくすぐったさを我慢して歯磨きするなら努力と呼べよう。
歯磨き大好きなんて人にしてみたら、歯磨きは楽しみである。
そしてどうでもいいことだが、
子供の頃の歯磨き大嫌いな私にとって、歯磨きは自分自身への虐待と思えるほどの行為だった。
正に自虐であり、歯磨きに怯える私はなんだかんだ歯磨き拒否の言い訳をのたまい、
または歯磨きした振りを繰り返し、その結果ズタボロの乳歯だった。

ここで自虐だが、
私にとっての自虐とは、「その行動を取ることにより他の精神的な苦痛を開放する。或いは快楽を得る。」との考えがある。

そうなると私の歯磨きは自虐ではない気がする。
いやいや、虫歯による痛みからの開放ではないか。
いやいや、虫歯による痛みからの開放は歯磨きでは達成できない。
歯磨きは予防であって、虫歯による痛みからの開放は歯医者へ行かなければならない。

なんてことを友人に話したらにやにやしながら、
「上ちゃんふっけーなー」と言われた。

 

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このページは、uedaが2009年4月26日 20:36に書いたブログ記事です。

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